重秀山 長楽寺
- 本尊
- 薬師如来
- 本尊御真言
- おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
高野山無量寿院良空上人この地に留錫のみぎり、当地の豪族中義勝その領地を割き一字を建立す。本尊に阿弥陀如来、脇士に薬師如来、愛染明王を安置し、長秀山無量寿院長楽寺と号す。これ文安二年六月三日の事である。
天正の兵火により焼失した後、上野密乗院覚運によって再興され、その時長田比自山観音寺より兵火を逃れた阿弥陀如来、四天王の仏像四体を当寺に移し現在に至っている。四天王像は鎌倉時代の作で、県の指定文化財である。
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高野山無量寿院良空上人この地に留錫のみぎり、当地の豪族中義勝その領地を割き一字を建立す。本尊に阿弥陀如来、脇士に薬師如来、愛染明王を安置し、長秀山無量寿院長楽寺と号す。これ文安二年六月三日の事である。
天正の兵火により焼失した後、上野密乗院覚運によって再興され、その時長田比自山観音寺より兵火を逃れた阿弥陀如来、四天王の仏像四体を当寺に移し現在に至っている。四天王像は鎌倉時代の作で、県の指定文化財である。
当山は奥法花の里を見下ろす高台にあり、遠くには倶留尊山等の山並みも見渡せ、眺望の良いところである。
その縁起について定かではないが、天正伊賀乱の後、地頭法華一族の氏寺として本尊聖観世音菩薩を奉安し復興され、現在に至る。また本堂裏の墓地には大永四年(一八二四)銘、高さ一メートルの石造五輪塔型板碑がある。
天正の乱により寺院は、ことごとく灰塵と化す。時にそのさまを見聞し、悲憤に決起し、権大僧都実盛和上(浄覚必願)が上京、上奏し奉り、その意かなえられ、天礼として五社五寺と広大な用地を拝受、安楽院を基に密乗院、覚正院、他に寺院を再建。
以後文化年に至るまで、密乗院住当寺の弟子が当り、覚正院は大越家が当ることから、密乗院・覚正院の歴代住職の墓所は現在も当寺にあり。